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2025 年12 月5 日

漢字の書き順を間違えていた

 書き写しを通じてボケ防止をと思って、20年以上もいろいろな物を書き写してきた。  随分以前にこのブログでも紹介したが、ひらがなでの間違いでは「ま」の上の線と下の線は何方が長いか同じかや、カタカナでは「を」の元の漢字はなどと楽しく学んできた。  最近になって、矢張り「手で書く漢字」という事にまだまだ間違いがある事にも気が付いていたが、その中でも、正に「お座成り」にしていて気が付かなかった文字に気が付いて、改めて調べてみると、やっぱり間違っていた。  「過」「渦」などの旁の部分である。  「骨」もその仲間である。  上の部分の最初は「縦線」「コの字の下の線が無い部分」までは間違うことが無いと思うのだが、その内側の部分は「縦線」が先か「横線」が先か。  生きてきてこの字を書き始めたのは小学校2年生くらいだろうから、9歳くらいか。  爾来、70年以上間違えて、其れを不思議にも感ぜず生きてきた。  私の調べ方が間違っているかもしれないが、「縦線」が先だった。  これからはその部分が出る度に気を付けよう。  こんな楽しみもある事に気が付いて嬉しかった。

投稿者:つねちゃん
at 06 :20 | 健康 | コメント(0 )

2025 年12 月4 日

孫の晴れ衣装

 先日の夕食時に、孫の晴れ衣装をスマホ画面で見せてもらった。  二つ違いなので、長女の成人式の物は2年前にビデオを含めてたっぷり見させていただいたので、記憶にまだ残っていたが、卒業は短大に行った下の孫と同時期なのである。  いやはや、爺の感覚では素直に「綺麗だねぇ」と褒める以外に言葉が無い。  一言で言えば、就職先が決まった長女の卒業姿は袴姿のしっとりとした中にも、部分的にそれなりの主張がある様である。  妹の方は、卒業式は結構派手目で、勝手を言うならば「私好み」である。  卒業式は、それから少しおとなしい配色である。  良く言われるように「孫には目が無い」爺であるから、どれもみんな綺麗である。

投稿者:つねちゃん
at 06 :07 | 健康 | コメント(0 )

2025 年12 月3 日

やっぱりおかしい流行語大賞

 総理の言葉が、今年の流行語大賞に選ばれたと聞いて、「マスコミも結局忖度とおもねりの世界か」と哀しくなってくる。  それも「大した意味はございません。思いついただけで言いました」と言われると、過労死の被害者やその家族・親族の方々はどんな気持ちで聞いただろうか。  その口で「多くの国民の皆様に働き過ぎを奨励するような意図はございません。長時間労働を美徳とするような意図もございません」と作り鬼笑顔で仰ると、凄味が増してくる。  朝の3時に出勤して「自分がこれだけ働いているのだから」とでも言いたいのだろうか。  それはあなたが状況判断と基礎の知識力が足りないからだと、何故思えないのだろうか。  コンピュータの黎明期にシステム建設に携わった時、覚える事ばかりで、大変だったけれど、他人様から言われたのじゃたまらないと思うよ。  改めて「外面如菩薩、内面如夜叉」と言う言葉が重なって見える。

投稿者:つねちゃん
at 06 :00 | 健康 | コメント(0 )

2025 年12 月2 日

少しずつだけれど年末処理が進んでいる

 会社勤めではないから、年末精算とか締め切りなどと言う事は無いが、自分で決めた小さな事が順序良く片付けて行ってくれている。  矢張り、是は「書き出してからやる」を励行している効果なのだろう。  今日の運勢にも、「慌てず、出掛けなくていい要件なら、よしなさい。身近な事を一つずつ」と出ていたから、これを励行すればいいのだ、と意を強くする。  斯うしてやっていると、見たかったけど見ていない録画番組にも自然に時間が割けられる。  そうだ、風呂掃除と畑の落ち葉を防雪の寒冷紗の上に被せて措こう、と追記する。

投稿者:つねちゃん
at 06 :03 | 健康 | コメント(0 )

2025 年12 月1 日

良いことが続き過ぎると怖く成る臆病者の私

 細やかすぎること、いや、場合によっては他人様から「何を馬鹿な」と言われるようなことなのかもしれないが、自分で勝手に「これは良い事だ」と思うようなことが、朝から立て続けに幾つか遭遇すると、何ともハッピーな一日の始まりである。  トイレに起きたのが2:22だったり、新聞を読み終えて、トイレに行くと、そこの時計が5:55だったり、目標体重が75Kgといろいろ努力していて、排便後の体重が74.4で目標達成だったり、勿論新聞の運勢が6以上だったり・・・、兎も角何でも「自分が良い」と思うことが度重なると、在職時ほど刺激がなくなった生活過ごしていると、僅かな事が楽しくなってくる。  また、それと同時に、「こんなに良いことが続くというのは、『運の使い切り』なのではないか」と心配から臆病にもなってくるから、それもまた楽しと思うようにしている。  何も感じないで、過ごすよりは、「ほんの少しだけ」刺激を感じた方が楽しさの秘訣である。

投稿者:つねちゃん
at 05 :39 | 健康 | コメント(0 )

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